http://www.mainichi-msn.co.jp/keizai/it/coverstory/news/20060601org00m300116000c.html
毎日新聞の記事でNHKのチャンネル削減について上記URLで言及している。
NHKのBS放送は、今でこそモアチャンネルと位置付けられているが、そもそものスタートの経緯は「全国にあまねく」地上波放送を届けるための難視聴対策であった。
この問題はインターネットでカバーできる問題。日本で現在電話の通じない家庭はないものと思っている。(未確認)
NHKのBS放送チャンネルが、独自番組ばかりで埋め尽くされているのなら、1チャンネルを削減すればその分の制作コストが減少する計算になるが、地上波と同じ番組も多く放送している以上、単純に1チャンネルを減らしてもコストはそう大きくは下がらない。BS放送用に作られた番組が地上波で流されることもある。その場合もコスト削減効果は期待しにくい。
コストの問題ではないと思う。
NHKのラジオは受信料の対象となっていない。テレビ受像機を所有していることが受信料支払いの根拠となっていることからすると、受信料はテレビ番組の制作費にだけ充てられていると考えられがちだが、実際にはラジオ番組の制作費もまかなっている。
そういう意味では、ラジオ1チャンネルを減らすことは、コスト削減につながることは間違いない。ただし、若者に人気のあるメディアの主流がテレビから、ネット、携帯電話へと変わりつつあるため、NHKラジオのリスナーの中核層は明らかに高齢者である。地方に行けば行くほど娯楽は少なくなる上に、年齢構成も高くなる。
高齢化社会の到来と言いながら、その高齢者の人たちが楽しみにしているラジオのチャンネルを減らそうという考えである。「消費者の視点」で改革を行うと言いながら、あまりにも経済効率だけを優先しているように思えてならない。
高齢者はパソコンアレルギーの人が多いので簡単操作で決まったIPのファイルをダウンロードできるような機材を作らないといけないのかなとかは思う。けれどこれもインターネットで代用できる。
以前、NHKを見ることはなかった。お昼のニュースでも灰色の背景に灰色の背広をきた四角いメガネをかけたまじめそうな男の人がまじめにニュースを読んでいるのがどうも苦手であった。学校の視聴授業でNHK放送が教材になったときもとても面白くなかった。家でNHKにチャンネルを合わせる必然性をまったく感じなかった。
ある日親がNHKに受信料を支払っているというのを聞いた。
受信料を払っているんだったらもっと面白くて人の役に立つ番組を作ればいいのに。
そう思っていた。
ある日、NHKは壊れた。
紅白歌合戦からNHK教育まで『視聴率』が掛け声になっていった。
確かに面白くはなった。豪華なセット、有名タレントの起用、色使いもカラフルになっていった。
反面、一抹の不安も覚えるようになった。その不安感はぼんやりとしていて捕らえどころのないようなものであった。
そのうちに、視聴率は取れないけれど、文化的に意義のあるような伝統芸能や、ドキュメンタリーの番組を見かけることが少なくなってきた。
ある日、海外のケーブルテレビにコンテンツを流すのにお金がいるからNHKもテレビコマーシャルを流して稼ごうとか言い出した。
ぼんやりした不安感が明確な危機感に変換した瞬間だった。
最近、災害がよく起こる。
困ったときはお互い様、ボランティアや寄付を募って助け合おうという人が最初いっぱいいた。
最近、表向きは慈善事業で裏で弱者をだしにして金儲けをしているような人をよく見かけるようになった。
ボランティアや寄付をすることは悪いことではないのに、結果社会的にうまくいかなくなるのは悲しいことだ。
NHKもなんかそんな感じ。
あくまで主観でものを書いてます。