コーヒーブレーク

マグカップのコーヒーがなくなっていた。パソコンの画面から顔を上げコーヒーカップを眺める。
「そういえば大槻さん、棚部さんって今日くるんだっけ」
部屋の片隅のミニキッチンにいるポニーテールの女子事務員に声をかける。
「あら、森さん聞いてません?棚部さん転勤で大阪に移動になったそうですよ。このまえ引継ぎで新しい担当者の方といっしょに挨拶にこられたんですよ」
「そう・・・。そういえば以前にそんな話を聞いたような気がするな。」
「なにかご用件でもあったんですか?なんでしたら今日その新しい担当者の新見さんに棚部さんの連絡先とか教えてもらいましょうか?」
「いや、そんなにたいした用件でもないんだ。ありがとう」
棚部という男と会ったのは3年前のの昼休みに下の自動販売機で缶コーヒーを買っていたときだった。自動販売機の取り出し口から缶コーヒーを取り出そうとかがんでいた時にふと後ろを振り返った。音も無く背後に立っていた。ぎょっとしたが、口から出そうになった驚きの声をなんとか殺して
「次どうぞ」
というと向こうも会釈して
「どうも」
といいつつ爽やかな笑顔でにっこり挨拶して自動販売機に向かう。
するとそばを通りかかったうちの会社の事務の女の子が
「きゃーホーンティングコーポレーションの棚部さんよ、かっこいい!」
とかなんとかいいながら騒々しく通ってエントランスから真夏の日差しの強い外へ出て行く。本人達はひそひそ話しているつもりだろうが、声が大きい。こっちのほうが恥ずかしい。そうかうちの取引先の会社の人か。遠くできゃー暑い暑い日焼けするーという新入社員の女の子の声がする。
棚部に悪いねうちの女の子が騒いでというと、いえいえと愛想よくいってにこにこしている。
棚部が自販機から取り出したコーヒーを見ると最近テレビコマーシャルでよくながれているコーヒー会社のモカだった。
「やっぱりモカだよな。どうもキリマンジャロは苦手なんだ。」
というと棚部はびっくりしたような顔をしていたが、自分の手の中の缶と俺の手にもっている缶を見て同じ缶だというのがわかったのかまたにっこり笑う。
「そうですね。あなたもこのモカが美味しいと思いますか。」
それから俺は一緒にエントランスをでてぶらぶらしながら会社の隣の公園へ行き昼休みが終わるまで延々といかにいままでのモカとこの新発売のモカが違うかとか、モカとキリマンジャロの味わいの違いについてとか初対面の相手に向かって演説してしまった。棚部はにこにこしながら俺の話を聞いていた。そして別れ際、
「森さんの意見は面白いですね。また続きを聞かせてください。」
といって去っていった。
それからなにかうまが合うのか月一回、うちの社に訪問した帰り際の棚部といろいろ話をする機会が多くなった。
ある日、俺が昼休みも終わりかけた頃、下の自販機で缶コーヒーを買っていると棚部がエントランスを入ってくるのが見えた。今日は今から大槻さんと仕事かな。
棚部が階段を昇っていく。なにげなく俺も後をついて階段を昇る。最近階段を昇ったことがないから結構体がきつい。運動しないとな。息があがってくる。
やっと2階に辿り着いたやれやれと思って顔を上げるとなにかまぶしい。目を凝らしてよく見てみる。アスファルトに照り返す昼時の強い太陽の光。1階だ。ここは1階じゃないか?
ふと我に返ってあたりを見回すと、エントランスがあり、道路の横断歩道を横切って向こうへ悠然と渡っていく棚部の姿があった。俺が固まってその場に棒立ちになっていたのは何分ぐらいだったんだろうか。実際そんなに長い時間じゃないだろう。でも長かった。 横断歩道を渡り終わって棚部がこっちを振り返った。そして棒立ちになっている俺を見た。そしてにっこりと笑って会釈をし、そばに止めてあった車に乗って去っていった。
その数日後、俺のデスクに小包が届いた。中身はコーヒーのモカの粉とマグカップが入っていた。今度ホーンティングコーポレーションで売り出すセットでこのモカがおいしいので森さんにおすそ分けしますという内容の手紙が同封してあった。なかなか趣味のいいマグカップだった。電話をかけ棚部にお礼をいう。
「なんかえらく高そうなものいただいちゃったけれどいいのかな。」
「どうぞ。この前モカが好きだっていってらしたじゃないですか。ちょうどうちが扱う商品にモカがあってこれがおいしいんですよ。これなら森さんも喜ぶだろうと思って。気に入っていただけるといいんですが。」
「なんか気を遣わしちゃってすまないね。ありがとう。」
「いえいえ。あっお電話もらっていて申し訳ないんですがもうすぐ社を出て訪問先に向かわないと間に合わないんです。」
「こっちこそ、そちらの都合を考えないで電話して悪かったね。じゃあもう切るよ。本当にありがとう。」
マグカップは俺が使い、コーヒーは量があったので皆もいっしょに飲んでもらうことにした。また女の子達の棚部に対する評価がぐっと上がった。
俺もその後、棚部が趣味だといっていたゴルフのボールを10ダースほど贈った。
本当は、あの階段での件について聞きたかった。でも自分でも真夏の直射日光を浴びて目眩がしていただけかも知れない。見間違えだと思いたい。棚部もなにも言わなかったじゃないか。
その後、あるプロジェクトのスケジュールがギリギリになって連日徹夜の毎日が続くようになってとてもそんなことを考えている暇が無くなった。
毎月10日頃に棚部はうちの会社にきているようだったが、応接室で大槻さんが応対しているので顔を合わせることもなく何ヶ月も過ぎていった。
徹夜の朦朧とした頭のどこかで、女の子達が棚部が転勤になるとかなんとか騒いでいたのを聞いたような聞かないような。
やっと仕事も納期に間に合い、ふとあのマグカップに入れてもらったコーヒーがなくなったことに気づき。
そうか、転勤か。
大槻さんがミニキッチンから首をだして言う。
「なにかご用件でもあったんですか?なんでしたら今日その新しい担当者の新見さんに棚部さんの連絡先とか教えてもらいましょうか?」
俺は答える。
「いや、そんなにたいした用件でもないんだ。ありがとう」
ぼんやり頬杖をついてマグカップを見る。
絵柄の下に小さく社名が入っている。
Haunting Corporation
ほんとうにいつまでも心に残りそうな。





2006-07-14書き起こし。著作権は放棄いたしません。

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